課題・フィールドノート

 初めて日本からこのベトナムという国に来て様々な「違い」を感じた。気候や言語、文化や人々の醸し出す雰囲気、挙げていけばきりがない。そんな数ある中でも私が一番大きく「違い」を感じたのは『時間』への感覚であった。この国では日本とは違って『時間』を意識する事はない。仕事場、カフェや出店などのお店はもちろん、バスや電車などの人々の生活の中でも欠かせない交通インフラにさえ『時間』を意識するという概念が感じられないのである。『タイムスケジュール』なんという言葉はこの国にはないであろう。日常的に『時間』に縛られて生きている日本人からは到底考えられない。確かにベトナムにも時計というものはあるが基本的に遅れていてそもそも使い物にならない。朝は目覚ましの必要なく窓から入る日差しやバイクの音で自然と起きることができるし、夜は暗くなって眠たくなったら寝る。仕事に行く時間も一応決まっているものの、遅刻は当たり前という有様で使い物になってない。その代わり仕事に帰る時間も決まっているわけではなく、仕事が終わった人から勝手に帰るというのが当たり前。天候や気候によっても仕事は変わってしまう。お昼の掃除は外が暑かったら中止、スコールが降り出したら仕事が終わっていても家に帰れない。バスなども時刻表なんてあってもないようなもの。教会の鐘の音でお昼、夕方という事に気付く。朝並んでいたバインミーやチキンライス、フォーのお店がなくなっていてお昼が過ぎたことに気付く。生春巻きやバインセオの屋台が並びお祭り騒ぎなりだしてから夜が来たことに気付く。我々日本人とは異なり厳密な時計の中の『時間』の概念がないこの世界で生きている人たちは、自然な人の流れ、空気の流れの中に居て、初めて『時間』というものが存在しているのだ。
 だがそれとは対照的にベトナムという国にも日本と同じ所も多くあり親しみ持ちやすいと感じたところもある。例えば、バスにお年寄りや妊婦さんが乗車してきたら席を譲るのは当たり前。歳上の人には敬意を込めて丁寧な言葉を、歳下の人には優しく語りかける言葉を、と話す相手によって言葉をかえる。食事は醤油ベースで野菜とご飯が中心、お箸を使う。お店に入るとまず無料でお茶を出してくれる。完全に日本のそれと言っても差し支えないほどである。また、かつての日本でも建てられ住まわれていた茅葺屋根の家で住んでいる人も多い。このように文化や暮らしの中に日本が多く潜んでいるところも見られた。
 以上のことから、ベトナムにおける生活を通して全く知らない新たな世界を垣間見た一方で自分たちが古くから知る世界に近いものも感じることが出来た。


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