ゲリラ作戦


太平洋戦争の時の2.8倍の爆弾数(2倍の戦費)、4倍もの時間を世界最強の軍隊を保持するアメリカに費やせ、最後にはベトナム勝利に導けた理由が知りたくて、クチトンネルツアーに参加しました。
答えとしは不十分ですが、そこにはクチ州に住んでいた兵士や市民(男女共に)の団結力〔自分の生まれ育った地域を守りたいという気持ちをもとに〕、自分の環境を上手く駆使されている独創的な様々なアイデアにより、武力行使したアメリカに勝てたのだと思いました。


工夫①目に見えない敵
草で隠し何も無い風に見える。ここからベトナム兵が銃で撃っていた。穴は背の高いアメリカの兵士は入れない様な小さいサイズにつくられている。米軍は『その姿の見えない敵が見つかる瞬間というと、自分たちが撃たれるときだけである』と教わっていたそうだ。

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また、実際に手を下さない方法として草の下に地雷や仕掛け爆弾を隠してたり、落とし穴〔ブービートラップ〕を作っていた。爆弾はアメリカの不発弾を再利用。落とし穴は、穴を掘り、底に鋭い竹や釘を置いたもので、落ちたら針がグサりと刺さるとかいう原始的ながらもなかなか残酷。

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米兵が『ゲリラはどこにもいないが、どこにもいる』と表していた意味というのがとてもよくわかりました。


工夫②地下トンネル
アメリカからの攻撃の中心は空からであった。そこで人々は地下トンネルを作り暮らしていた。そこの中に実際に入らせて頂きました。たった5分程でしたが、狭く細いトンネルの中は暑く湿度が高くそして空気も薄くとても息苦しかったです。当時は空気も水も食べ物が不足している中で、壁にはサソリや蜘蛛といった害虫がこびりついていたとそうです。そして、そのトンネルの中が一番安全だと考えられており、そして多くの人々が缶詰化させれていたわけです。私だったら、あのトンネルにたった一日いるだけ気が狂うだろうと思いました。

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私は今日のツアーを参加しながらベトナム戦争を学びつつ太平洋戦争の事を思い返していました。このトンネルもゲリラだけに思えますが日本兵もかつてガダルカナル島ペリリュー島、硫黄島でも行われていました。
改めて戦争は人と人の殺し合いだと思いました。そして、最後に枯葉剤原子爆弾もそうですが戦争が終焉しても、その後後世(子孫)に残るのは最も行ってはならないと思いました。ベトナムの道端では未だその残りを感じる大人子供が見受けられます。
太平洋戦争は祖父母の、ベトナム戦争は両親が小中学生の時にやっと集結した訳です。昔の話しではありません。学び考えなくてはならないと思いました。